誰もが苦手な“抽象的な随筆文”

こんにちは。
現代文と一言で言っても、評論文や小説文、随筆文と色々ありますね。
この間のブログで評論文の構造は説明しましたし、今回は苦手な人が多いと思われる「随筆文」について書きたいと思います。

僕の周りでも、小説は得意だし評論文もそこそこ出来るけど、随筆だけは何言ってんのかわからーん!となる人が多いです。

そもそも随筆文は、筆者が自分の心情を綴った文章です。そのため、心情把握の問題は小説の解法と似ていることがあります。
しかし、随筆文は小説と異なり、
筆者が「不特定多数の読者に対して」心情を吐露しているので、そこには当然論理が発生します。
そこで文章を読むこちら側としては、
【論理を読み取って筆者の心情を把握する】必要があるのです。

一見、評論文とは違って流麗な文章なことも多いだけに、文章の根底にある“論理”をしっかり抑えることがとても大事です。
その意味では、
随筆文は【評論文以上に論理的に考える必要がある】文章です。

さて、随筆の筆者は文学者であることが非常に多いです。そのため、随筆文は比喩等のレトリックが多用されることが多く、パット見では抽象的で捉えにくい文章も多々存在します。
(これが随筆文を苦手とする人が多い理由のひとつではないかと思います)

しかし随筆文を解く際に求められる力は、
【レトリックこそ論理を駆使して客観的に把握する力】です。
難関大学で出題されるような抽象的でややこしい文章だと、解答を作成するにあたって、比喩を論理的かつ客観的に捉える必要がある問題もあります。

つまり、比喩が「何」を「何」に例えたものなのか?
ということを論理的に考える必要があるということです。
随筆文を解くポイントは、
漠然と答えや根拠を探すのではなく、
論理を追って発見することにあります。

特に記述問題は、文章を漠然と読んで何となく分かったような状態では、様々な条件の下で言語化することが出来ないという難しさがあります。
文章を論理的に読んではじめて、その内容を論理的にまとめたり、設問に対して論理的に答えたりすることができるのです。

ですから随筆文の問題演習では特に、
【論理を追って答えを作成する】練習をしてください。
論理的に考える練習が何より大事だと思います。
レトリックは筆者の主張を言い換えたものなので、“レトリックがなぜそこで使われているか”を意識し、論理的・客観的に文章を捉えることこそ随筆文を解くポイントだと思います。

間違い直しをする際は、答えの根拠となる部分にどうやったら論理的にたどり着けるかを考えてください。必ず論理的に答えは導きだせます。

【現代文】答えの根拠が傍線部から離れている!

こんにちは。
今回は画像を多く貼りたかったので、より使いやすいブログに変えました。

では本題です。

昨年の暮れに、東大を目指している友人と話していて少し話題に上がったのですが、
「答えの該当箇所が傍線部から離れていて気付かなかった。記述に盛り込めず減点された」というケース。
特に記述問題で多いですが選択問題でも多いと思います。

解説には
「○行目に△△とあるから、ここを根拠にする(あるいはここを記述に盛り込む必要がある)」
とあるけど、傍線部から離れていて
“そんなん気付かんやん!”
ってなった経験はわりと誰でもあるかと思います。

これはいわゆる“現代文あるある”なのにも関わらず、気付かない理由や防ぐ方法を明確に教えてもらったり、考えたことのある人は少ないと思います。
問題の解説授業を受けて「どこに該当箇所があるか」は教えてもらったけれど、自分一人では見つけられない!(ましてや傍線部から離れたりしていたら尚更)

というわけで、今回は
「そもそもなぜ該当箇所が傍線部から離れているのか?」
「離れていたら諦めるしかないのか?」
の2点で書き進めていこうと思います。

≪そもそもなぜ該当箇所が傍線部から離れているのか?≫

これを知るためには、評論文の構成そのものを知る必要があります。

出題される文章は、当然ながら世の中にある本から抜粋したものです。
世の中の本(評論文)は基本的に、1つのテーマについて書かれています。
考えれば当たり前の話で、「皆に読んで貰いたい意見がある」から本を書くのです。
だから、「メダカの生態を知りたい!」と思って本屋に行ったのに、「なぜ太平洋戦争は防げなかったのか?」みたいなタイトルの本は買いませんよね。「メダカのすべて」みたいな本を買うべきです。

ではここで、評論文の構成を具体例で考えてみましょう。

あなたが
読売ジャイアンツは日本一魅力的なチームだ!」という文章を書くとします。

しかし、あなたがいくら読売ジャイアンツは日本一魅力的なチームだと思っていても、それだけでは分かってもらえません。
例えば「読売ジャイアンツは強い」から日本一魅力的だ、あるいは「読売ジャイアンツは歴史がある」から日本一魅力的だ、などのように、詳しく掘り下げて述べる必要がありますよね。

また、「読売ジャイアンツは強い」と述べる根拠や「読売ジャイアンツは歴史がある」理由、例えば「名選手が多い」から強い、「日本で初めてのプロ球団」だから歴史がある、といったことも述べるとさらに分かりやすくなるでしょう。

これはよく聞く「各段落の主張」「意味段落」に相当します。
文章中にいくつか主張は登場しますが、それは筆者が一番伝えたい主張の“伏線”なわけです。

つまり何らかのテーマについて主張する本は、根拠が木の根のようにどんどん広がっていくようなイメージを持ってもらえると分かりやすいですね。
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しかし、木の根のように根拠を下に下に掘り下げて広げていくだけでは分かりにくいかもしれません。時には横に説明を広げていく時もあります。
これはいわゆる「引用」「対比」といったものです。

読売ジャイアンツは強い」という主張を超有名な評論家が言っていたならば、それは自分の主張に説得力を持たせられるでしょう。

また、「もし読売ジャイアンツが弱かったら」といったことを説明すれば、
その反対の「読売ジャイアンツは強い」
ことは分かりやすくなるでしょう。
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もちろん、「もし読売ジャイアンツが弱かったら」の話をする際は、その説明を下に掘り下げる必要もあるでしょう。
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ややこしくなりましたが、本(評論文)は、
【ある1つのテーマについて、下に根拠が広がり、また時には横にも対比や引用が広がっている。そしてその対比や引用からも、下に根が広がっているのだ】というイメージをつかんでもらいたいのです。

しかしこれは写真のように体系的な図だと分かりやすいですが、実際の文章はあくまで“文章”です。
これこそまさに「傍線部の該当箇所が離れている」原因なのです。

先ほどの図を、内容はそのままに、実際目にする文章のようにしてみました。
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どうでしょうか?最初の図と見比べてみてください。内容は同じなのに、急に分かりにくくなりました。

あくまで文章は仕方なく上のような“文章”で書かれているだけで、本当は体系的なものなのだ、と考えてもらっても構いません。
とすると、本来は体系的なものを“ただ読み流していく”ことは非常にバカげていることだと分かります。文章は読むというよりは捉えるものなのです。

これで何となく、該当箇所が離れていることがある理由が分かりませんか?
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例えばオレンジの線の部分の根拠を求める問題の時に、青い線の部分は根拠のひとつになるでしょうが、オレンジの線からは離れてしまっています。

また、根拠や引用、対比の記述が長くなりすぎて、傍線部から離れてしまうこともあります。

皆さんはここまでだいたい、「傍線部から該当箇所が離れてしまう理由」のイメージを掴んでもらえたと思います。

≪離れていたら諦めるしかないのか?≫

傍線部から該当箇所が離れていたら気付かない、記述問題のポイントを落としてしまうことになる…
しかし、「該当箇所が傍線部から離れてしまう理由」を感覚的に分かっていただいたので、これに基づいて対処方法を考え出すことも可能です。


☆「“何のため”の具体例or引用or根拠」なのか考える!

先ほど、
「筆者は主張したいことに説得力を持たせるために、根拠や具体例を用いて下に広げ、対比や引用を用いて横に広げていく」と説明しました。

しかしこれは逆に考えると、
「文章に出てくる根拠や具体例、対比や引用は、すべて筆者の主張やその根拠を説明するためにある」
「また、それらは下に広げられたもの(掘り下げて展開されたもの)なのか、横に広げられたもの(並列的に説明)されたものなのか。
あるいは横と下が組み合わされたもの(具体例の説明や、引用の対比など)なのか判断できる」
ということが言えると思います。

評論文には主張と一切関係のない話は登場しませんので、読み進めていく上で出てきた話は全て何らかの役割(種類については5行くらい前に述べましたね)を持っていることになります。

つまり、文章を読むときはただ文章の内容を理解しようとするだけではなく、「今読んでいる箇所はどういう役割を持っているのか?」と考えるべきだということです。

先ほどの例ですと、
「ん?この“もし読売ジャイアンツが弱かったら”という話は、どういう役割を持っているんだろう?」と考えながら読むべきだと言うことです。
考えながら読んでいけば、必ず
「“もし読売ジャイアンツが弱かったら”という話は、“読売ジャイアンツは強い”という話に説得力を持たせるためのものだったんだな!」と気づくことができます。

そうすればたとえ傍線部から離れていたとしても、その箇所に気付けない、なんてことはかなり減らせると思います。

≪おまけ:練習法≫

これまで「なぜ解答の該当箇所が傍線部から離れていることがあるのか」
「そしてそれに気付くために」について書いてきました。

しかし、文章を読むだけでも大変なのに、その役割を考えるなんて難しい!と思うかもしれません。そんな人にお勧めしたい練習法があります。
これは文章を体系的にとらえ、書き出す練習なので、記述作成の練習にもなります。

その練習とは、
既に解きおわった(一度読んだ文章)をもう一度一文ずつ読んでいき、上か下の余白に「この文がどういう役割を果たしているか」を書いていく方法です。
ほとんど同じ内容の文は分ける必要はありませんが、なるべく細かく書いてください。
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時間制限などはいりません。

これは、文章を“読む”のではなく、“体系的に”捉える練習です。
文章は仕方がなく横に並べて書かれているだけで、本当は体系的に捉えたほうが分かりやすいのは先ほど述べたとおりです。

これを間違い直しの際にセットでする習慣を付けると、文章を読むだけではなく、役割を体系的に捉えることができます。

そして現代文、特に記述問題が苦手な人はこれに加えて、2枚目の画像のように、体系的な図も作ってみるとより良いでしょう。

少しでも参考になれば幸いです。